公益社団法人日本獣医学会 The Japanese Society of Veterinary Science

人獣共通感染症 連続講座 第152回(12/23/2003)


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視点・論点「SARSを防ぐために」

 12月17日夜、NHKの視点・論点で上記のタイトルの話をしました。たまたま台湾の研究者でのSARS感染が報道された日に当たりました。10分弱の時間内に一般向けということで、とくに目新しい内容ではありませんが、転載いたします。

 今年の春、突然出現したSARSは30カ国に広がり、推定8500人の患者が発生し、そのうち800人近くが死亡しました。世界保健機関WHOを中心とした国際協力により病気の封じ込めに成功して、7月5日にはWHOから終息宣言が発表されました。
 しかし、SARSの原因とみなされる新型コロナウイルスがいなくなった訳ではありません。もしもふたたび出現した際に適切な対策がとられなければ、大きな広がりを示すおそれがあります。この冬にも出現の可能性は否定できません。
 今日はSARSの発生から終息までを振り返って、今後の問題などについて考えてみたいと思います。
 これまでに得られた多くの証拠から、SARSは2002年11月に中国広東省に最初に出現したと考えられています。 2003年3月中旬、WHOがSARSの出現を発表し、国際的な制圧の活動を開始した当初、中国は発生についての正確な情報を提出しませんでした。広東省での発生は制圧されていると主張している間に北京にまで広がり、最終的に5300人以上の患者、530人あまりの死者が出て、経済的にも大きな打撃を受けました。もっと早く正しい情報を伝えていれば、中国だけでなく、世界的な広がりもかなり防げたものと考えられています。
 ウイルスには国境はありません。発生の初期から情報を開示して制圧に取り組むことが、グローバル化した現代社会では、きわめて重要です。
 一方、原因ウイルスの解明では、これまでにない画期的な成果が得られました。WHOはSARS発生を確認して直ちに国際的な研究ネットワークを作り、インターネット情報網などを活用して、研究成果の共有化をはかりました。本来は競争相手のはずの研究者どうしが協力しあって原因ウイルスの解明にあたるという、これまでにない国際研究体制ができました。その結果、研究を始めて1カ月あまり後には、原因が新型のコロナウイルスであることをつきとめたのです。
 研究成果の詳細は、国際学術雑誌のオンライン版で発表され、世界中の研究者が研究の進展状況についての情報を入手することができました。情報社会の利点が最大限に活かされたものといえます。この研究成果が、SARSの制圧に大きな貢献を果たしたのです。
 これからの研究としては、ワクチンや治療薬の開発がきわめて重要です。そのためには、SARSという病気がどのようなメカニズムで起きるのか、この点についての研究が欠かせません。
 ところで、SARSコロナウイルスはどこから来たものでしょうか。ウイルスは動物に寄生しなければ子孫を残すことができません。ウイルスの存続のためには、寄生する動物と共存することが必要なわけで、このような動物のことを自然宿主と呼んでいます。
 自然宿主を探すには、その候補の動物について、ウイルスに感染している証拠として、ウイルスの分離、ウイルス遺伝子の検出、もしくはウイルス抗体の検出を行います。そのような検査の結果、ハクビシン、タヌキ、イタチアナグマでSARSコロナウイルス感染が見いだされました。しかし、これらの動物は動物市場に居たものでした。これまでの研究では、これらの動物は自然宿主ではなく、さまざまな野生動物が詰め込まれている動物市場で感染を受けた可能性が強いと考えられています。
 この動物市場のような状態は中国に限ったものではありません。日本でもペットショップには、ペットブームとともに、世界中から珍しい動物やごく少数しか生息していないような動物も多く持ち込まれて雑居しています。このような環境では、自然界では接触が起こらない動物の間で、SARSコロナウイルスのような未知のウイルス感染が広がるおそれも考えなければなりません。
 人口が密集した中国に、自然宿主の野生動物は昔から生息していたはずなのに、どうして、これまでSARSが起きてこなかったかという疑問もあります。しかし、20世紀終わりになってアメリカでは野ネズミから、オーストラリアとマレーシアではコウモリから、突然、新型のウイルスにヒトが致死的感染を起こす事態が起きています。そして、これらの野生動物とヒトが接触する機会がさまざまな理由で増えていたことが分かってきました。SARSコロナウイルスでも自然宿主が見つからなければ、この問題への答えは得られません。
 最後に、今後の問題について考えてみたいと思います。日本ではSARSが疑われた例や可能性があるとされた例は見つかりましたが、最終的にSARSではないと判定され、SARSの発生はなかったことになっています。この理由については、さまざまな見解が出されました。しかし、いずれも科学的な根拠はなく、私は単に幸運の一言につきると思います。
 SARSコロナウイルスのような新しいウイルスに対して、人類社会には免疫は存在していないため、ウイルスは容易に広がるおそれがあります。現代は航空機により、ひとつの地球村ともいえる状況です。ヒトの間で容易に感染が広がるウイルスが出現すれば、SARSのような事態は当然予想されることです。日本が例外になることはありえません。
 新しい感染症に対しては、社会を守るための集団防衛が必要です。昔は伝染病予防法にもとづいて、ペスト、コレラなどの伝染病に対しては、集団防衛のために患者の隔離が行われました。この明治時代に制定された伝染病予防法は、1999年に感染症法に改正されましたが、その際には、ハンセン病などで起きた人権侵害への反省から、公共の利益のために個人の自由を束縛する隔離には慎重な対応が求められ、感染症法から隔離の言葉はなくなりました。これは、現代の価値観から考えて当然の対応です。しかし、感染症法を制定した際、SARSのような事態は想定されていませんでした。SARSは、人権を尊重した上での集団防衛をどのように効果的に実施するのかという難しい問題を提起しているのです。
 これからも、SARSのような新しいウイルスがふたたび出現する事態が起こることを念頭に置いて充分の備えをしなければなりません。SARSはその予行演習になったと思います。