公益社団法人日本獣医学会 The Japanese Society of Veterinary Science

人獣共通感染症 連続講座 第143回(04/20/2003)


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エマージング感染症としてのSARS(重症急性呼吸器症候群)

 4月15日夜、NHK教育テレビの「視点・論点」で上記の話をしましたので、その際の講演原稿を掲載します。約9分という時間の関係でカットした部分も加え、さらに若干の補足資料もつけ加えてあります。なお、表と図は割愛しました。
 新型の急性肺炎は全世界に大きな衝撃を与えています。これは正式には重症急性呼吸器症候群と命名され、その英文名の頭文字をとってSARSと呼ばれているもので、その原因としては、これまでに知られていない新型コロナウイルスが考えられています。
 このように突然出現し社会に大きな影響を与える感染症はエマージング感染症、もしくは新興・再興感染症と呼ばれています。そのうち、ウイルスによるものは、細菌のように抗生物質による治療もできず、時には致死的になることが多いためにとくに大きな問題になっています。
 今日はエマージング感染症としてのSARSについて考えてみたいと思います。
 過去40年ほどの間に、エマージング感染症は40以上起きています。その多くは野生動物が保有するウイルスによるもので、その発生のしくみを、この表にまとめてみました。
 まず、野生動物の輸入によるものがあります。その代表例は、サルの輸入によりアフリカの熱帯雨林に存在するウイルスが先進国に持ち込まれたマールブルグ病です。これは、1967年、ドイツのマールブルグなどで起きました。
 次に、野生動物の世界に人間が入っていって感染するケースです。都市化、森林破壊などさまざまな形で人間は野生動物の生息地域に入っていくようになりました。そこで野生動物のウイルスに感染して起きたのがエボラ出血熱です。エボラウイルスは熱帯雨林に生息する野生動物が持っているものですが、その動物が何なのかはいまだにわかりません。
 異常気象が間接的原因で起きたと考えられるエマージング感染症もあります。その例として、1993年米国で発生したハンタウイルス肺症候群という病気があります。エルニーニョのために大雨が続き、ネズミの餌となる木の実が大豊作になり、その結果ネズミが大繁殖しました。ネズミの数が増えて人間との接触の機会が増えたために、ネズミのウイルスに人間が感染するようになったことが、この病気の発生の原因と推測されています。
 以上のエマージング感染症は野生動物から直接人間が感染したものでした。ところが、1998年にマレーシアで発生したニパウイルス病は、ウイルスを保有するコウモリからまずブタが感染し、ブタの体内で増えたウイルスに人間が感染するという、これまでにない発生のしくみとなりました。養豚が盛んになり、コウモリの生息地域でブタが飼育されるようになったことが、ニパウイルス病の発生を招いたのです。
 一方、直接、家畜からの感染で起きたエマージング感染症もあります。1997年に香港で、それまで人間に感染したことがないトリインフルエンザウイルスがヒトに致死的感染を起こしました。インフルエンザウイルスは、時に大きな変異を起こしますので、人に感染するようになったものと推測されています。 
 幸い、この場合には、ニワトリやアヒル百数十万羽を殺処分したことで人の間での流行は起こさずに、発生はおさまりました。 
 ところで、これまでお話ししてきたエマージング感染症は、濃厚な接触がなければ、ほとんどヒトの間で広がることはありませんでした。ところが、SARSは、患者の咳やくしゃみによる飛沫感染で、ヒトの間に広がっています。感染して発病するまでの数日の潜伏期の間に、感染した人はほかの国へも移動し、そこで感染を広げてしまう訳です。SARSが世界各国に広がってしまったのは、原因ウイルスがヒトの間で容易にうつること、そして、グローバリゼーションという、2つの要因によると考えられます。SARSはエマージング感染症の中で、もっとも注意すべき新しいタイプのものといえます。
 SARSの原因は、新型のコロナウイルスと推測されています。4月10日に米国CDCの研究グループは、これまでに得られた詳細な研究成績を国際的学術雑誌に発表しました(注1)。その内容は、コロナウイルスが患者から分離され、その遺伝子構造がこれまでに知られていない新しいタイプであること、また、患者では発病とともにこのウイルスに対する抗体が上昇していること、それに対して健康なヒトでは抗体が検出されないことを明らかにしたものです。さらに、オランダの大学では、新型コロナウイルスをサルに接種した結果、肺炎を起こすことが確かめられました。これらの成績から、新型コロナウイルスがSARSの原因であることは、ほぼ確定的になったとみなせます。1カ月あまりで、これだけの成果が得られたことは画期的といえます。
 ところで、コロナウイルスには3つのグループがあります。第1群には人で風邪、ブタ、イヌ、ネコなどで下痢を起こすウイルス、第2群にはヒトで風邪、ブタやウシで下痢を起こすウイルス、第3群にはニワトリで気管支炎を起こすウイルスがあります(注2)。
 この図はCDC研究グループがこれらのコロナウイルスと新型コロナウイルスの遺伝子構造を比較したもので、ウイルスの系統樹と呼ばれるものです。この結果から、新型コロナウイルスは、これらの3つのグループのウイルスとはかけはなれているとみなされます。
 新型コロナウイルスの由来は、まだ明らかではありません。ほかのエマージング感染症の原因ウイルスと同様に、未知の動物のウイルスの可能性がもっとも高いと考えられます。コロナウイルスはインフルエンザウイルスのように、非常に変異を起こしやすいウイルスですので、未知の動物のウイルスが何かのきっかけでヒトに感染するように変わった可能性もあります。
 一方、SARSの患者ではコロナウイルスに加えて、パラミクソウイルスが見いだされたという成績もあります。これは、麻疹やムンプスなどを起こすグループのウイルスです。これまでの成績からコロナウイルスが原因であることはほぼ確定的ですが、コロナウイルスとパラミクソウイルスの両方がSARSにかかわっている可能性についても検討が続けられています(注3)。
 このように、SARSの原因解明についての研究は国際協力のもと、めざましいスピードで進んでいます。CDCの論文だけでなくカナダ、香港、ドイツなどからも同様に新型コロナウイルスを原因とみなす論文が、国際学術雑誌のオンライン版で発表されています(注1)。
 SARSはエマージング感染症についての警告になったとともに、今後、発生が予想されるエマージング感染症に対する国際協力による研究体制について、大きな教訓を与えています。

(注1)
CDC、カナダ、香港、ドイツの論文はhttp://nejm.org/earlyrelease/sars.aspで読めます。

(注2)
コロナウイルス科コロナウイルス属の3群のウイルス種名、宿主、主な症状を以下にまとめました。なお、コロナウイルス属の基準種(Type Species)はニワトリ伝染性気管支炎ウイルスです。

1群
ヒトコロナウイルス 229E :ヒト(風邪)
ブタ伝染性胃腸炎ウイルス:ブタ(胃腸炎)
ブタ流行性下痢ウイルス:ブタ(下痢)
ブタ呼吸器コロナウイルス:ブタ(呼吸器症状)
イヌコロナウイルス:イヌ(下痢)
ネココロナウイルス:ネコ(腹膜炎)

2群
ウシコロナウイルス:ウシ(下痢)
ヒトコロナウイルス OC43:ヒト(風邪)
マウス肝炎ウイルス:マウス(肝炎、下痢)
ブタ血球凝集性脳脊髄炎ウイルス:ブタ(脳炎)
ラットコロナウイルス:ラット(唾液腺、涙腺の炎症)

3群
伝染性気管支炎ウイルス:ニワトリ(気管支炎、腎炎)
シチメンチョウコロナウイルス:シチメンチョウ(下痢)

暫定種
ウサギコロナウイルス:ウサギ(呼吸器症状)

(注3) 
4月16日にWHOは新型コロナウイルスがSARSの原因と発表しました。その最大の根拠になったのはオランダ、エラスムス大学アルバート・オスターハウス(Albert Osterhaus)教授によるサルへの感染実験です。その実験は、3グループのサルに新型コロナウイルス、ヒト・メタニューモウイルス(パラミクソウイルス科)、および新型コロナウイルス接種後にヒト・メタニューモウイルスを接種したものです。その結果、新型コロナウイルスで肺炎が起こり、メタニューモウイルスでは軽い感染のみ、両ウイルス接種では新型コロナウイルス接種と同じであって病像の悪化は見られなかったとのことです。この結果からコロナウイルスが最大の原因と結論された訳です。なお、ヒト・メタニューモウイルスは2001年にオスターハウスが初めて分離したものです。