公益社団法人日本獣医学会 The Japanese Society of Veterinary Science

人獣共通感染症 連続講座 第132回(06/21/02)


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新刊書「なぜ牛は狂ったのか」

本書はフランス・パスツール研究所で1988年から98年まで所長をつとめたマクシム・シュワルツMaxime Schwartz博士の著書「Comment les vaches sont devenues folles」の和訳で、紀伊国屋書店から出版されたものです。
 私が監修を引き受け、プリオン病の説明とともに本書の特徴を、「解説に代えて」で述べていますので、その部分を転載します。

「解説に代えて」

 本書は、フランスが「BSE(牛海綿状脳症)パニック」に陥っていたさなかの二〇〇一年三月に出版された本である(最終章の27章は英語版をはじめとするほかの外国語版のために執筆され、二〇〇二年三月にメールにより著者から送られてきたものである)。
 著者のマクシム・シュワルツ博士はフランスのパスツール研究所の分子生物学教授で、調節遺伝子の発見でノーベル賞を受賞したジャック・モノーの弟子にあたるという。分子生物学者がBSE問題を扱うようになった経緯は、本書にも述べられているように、ここ二十数年の話である。フランスでも有名な同研究所に私は何度か訪れる機会があったが、獣医学を専門とする私と専攻が異なるため著者とお目にかかることはなかった。この日本語版の出版社の出版意図は「ヨーロッパの経験に学ぶ」ということであったが、内容を読み、広い視野でプリオン病について冷静かつ客観的にまとめていると思ったので、監修をお引き受けすることにした。
 まず、私なりに、一般の人に誤解のないように、言葉の定義の問題も含め、プリオン病について素描してみたい。

BSE、CJD、スクレイピー、クールー

 一九八六年、英国で発生が確認されたBSE牛は人に感染を起こして致死的な神経難病である新型クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)の原因になったと考えられている。BSE、新型CJD、ともに近代社会が産み出した新しい病気とみなされる。
 これらの病気は今日では「プリオン病」と呼ばれている。単独で「プリオン」と使うときは病原体の意味であり、ウイルスや細菌に相当する。でも、ウイルスや細菌のような微生物とは異なり、プリオンの構成成分は「異常プリオンタンパク質」であって、動物の身体の構成成分である正常プリオンタンパク質の構造が変わったものと考えられている。たとえば、BSEでは牛に餌として与えた肉骨粉に含まれるプリオン(ないしは異常プリオンタンパク質)が小腸でとりこまれ、小腸の正常プリオンタンパク質を異常プリオンタンパク質に変えることで、異常プリオンタンパク質が増えていくと考えられている。増加した異常プリオンタンパク質は小腸から脳や脊髄などに運ばれて、そこの正常プリオンタンパク質も異常なものに変えていく。このようにして、病原体であるプリオンはゆっくりと、しかし着実に増えていくと考えられている。
 つまり、病原体としてのプリオンはウイルスなどと同様に最初は外から身体に侵入するが、増えていく病原体は自分の身体の一部になっているタンパク質である。身体にとって異物であるウイルスなど微生物がその子孫を増やしていくのとは、まったく異なっている。
 プリオン病は「伝達性海綿状脳症」とも呼ばれる。その病気を実験的にほかの 動物にうつすことができ(伝達性)、スポンジ(海綿)状の病変が生じる、脳の 病気(脳症)のことを指す用語で、病気の特徴から名づけられたものである。
 最初の伝達性海綿状脳症は200年以上前、ヨーロッパで羊に見つかった。後に、「スクレイピー」と名づけられたこの病気が伝達性であることは、フランス の獣医学研究者により1930年代に明らかにされた。20世紀前半、スクレイ ピーは畜産の進展とともにヨーロッパ中に広がっていった。とくにウール産業の中心となった英国では羊の飼育が盛んになり、それとともにスクレイピーの発生も増加した。
 この時期はちょうど、細菌やウイルスがつぎつぎと分離され、微生物学が急速に進展しはじめたときでもあった。フランスについで、英国でもスクレイピーの研究が進みはじめた。この病原体は細菌が通過できないフィルターも通り抜けることから、「濾過性病原体」、すなわちウイルスの一種であろうと考えられた。
 しかし、発病までの潜伏期間はウイルスの数週間と違い数年と長い。また、ホルマリンのような強力な消毒薬でも、その感染性が失われないことなど、ウイルスとはあまりにもかけはなれた性質がだんだんと明らかになっていった。1950年代初めには、スクレイピーなど一群の羊の病気に対して「スローウイルス感染」という名称が与えられた。この時点では、スローウイルス感染はまだ獣医学領域の問題であった。
 羊の病気が人の神経疾患に結びついたのは第二次世界大戦終了後である。1960年代、ニューギニアの原住民で発生していたクールーについての研究をおこなっていた米国のガイジュセックは、スクレイピーでの実験結果を参考にしてクールーの患者の脳をすりつぶして作った乳剤をチンパンジーの脳内に接種する実験により、この病気がチンパンジーに伝達されることを証明した。続いて、きわめて稀に見られる人の神経難病であるCJDでも同様にチンパンジーへの伝達に成功し、スクレイピーと同様の伝達性海綿状脳症が人にも存在することを明らかにした。この業績で彼は一九七六年にノーベル賞を与えられた。ガイジュセックは、これらの病気は異常なウイルスにより起こると考えていた。しかし、その病原体は依然として大きな謎につつまれていた。
 病原体の本体の解明の突破口になったのは、米国のプルシナーが1982年に発表したプリオン説である。彼はスクレイピーを実験材料として、精製していった結果、感染性を担っているのは、タンパク質であるという結論に達し、この病原体に対してプリオン(タンパク質性感染粒子)という名前を提唱したのである。
 それから20年間、プリオン説はめざましい進展を遂げてきた。当初、タンパク質だけで増殖するという考え方に対しては、分子生物学者を中心に猛烈な反発が起きた。タンパク質のみが増殖するというプリオン説は、タンパク質は核酸(DNA)に刻み込まれた遺伝情報にしたがって産生されるという分子生物学のセントラル・ドグマに反するということが反発の理由である。しかし、まもなくプリオンタンパク質の遺伝子が分離され、それが動物の身体の遺伝子のひとつであることが明らかにされた。ウイルスのような異物ではなかったのである。これを契機として、プリオン説は、最初に述べたように、正常プリオンタンパク質が異常化して病原体に変わるという内容に修正され、セントラル・ドグマに反するものではなくなった。病気の実態に関する知識も急速に増えていった。プリオン 遺伝子の変異により発病する遺伝性プリオン病の存在も明らかになった。プリオン病は感染症であり、また一方で遺伝病でもあることが明らかになったのである。
 プリオン説の基礎ともいえる、異常プリオンタンパク質が感染性を担っている点については、それを支持する状況証拠が多数集まっているが、直接、異常プリオンタンパク質について感染性を証明する実験は技術的な問題があるために、いまだに成功していない。しかし、異常プリオンタンパク質の検出がプリオン病の診断の基礎になっているように、プリオン説は伝達性海綿状脳症の研究から対策にいたるまで、広く貢献してきている。プリオン説に基づいた多くの先駆的功績に対して、プルシナーは1997年にノーベル賞を与えられた。

BSEの三つの衝撃波

 英国でBSEの牛が見いだされたのは、ちょうどプリオン説が受け入れられ始めた時期であった。プリオン説はBSEの研究の中心になり、これに基づいてBSEの診断や食肉の安全対策なども確立されてきた。詳細は本書に譲り、ここではBSEの推移に焦点をしぼりたい。
 新しい病気としてBSEが発見されたとき、BSEの牛の脳にはスクレイピーの羊によく似たスポンジ状の病変が見いだされたことから、おそらくスクレイピーが牛に感染したために起きたものという考えが提唱された。
 BSEの広がりは予想を超えるものとなった。最初に確認された一九八六年末に60頭だったBSE牛は、四年後の1990年末には15,000頭に達した。この年、英国で一匹のシャムネコの死が大きな波紋を呼んだ。猫に伝達性海綿状脳症が見つかった最初の例である。スクレイピー羊には200年以上も接してきたが、これまでスクレイピーが人間に感染した証拠はなかった。英国政府はスクレイピーと同様に、BSEも人には感染しないだろうと説明していた。スクレイピーが猫に感染したこともなかった。ところが、BSEが猫に感染したとなると、人へも感染するおそれがあるという心配の声が高まった。急増していた牛のBSE発生を背景に、最初の衝撃波が英国を襲った。
 この心配は現実のものとなった。人への感染は1996年、英国でティーンエイジャーを含む10名の若者に、BSE感染が疑われる新型CJDの患者が見つかったのである。これがBSEの第二の衝撃波となり、英国のみならず全世界を襲った。なお、新型CJD患者は2002年5月の時点で、英国で121名、フランスがそれについで5名、ほかにアイルランドとイタリアで各一名が見いだされている。
 2000年秋、フランスでBSE発生が急増した。同じ年の終わりにはそれまでBSE発生はありえないと主張していたスペインとドイツでBSE牛が見つかった。翌2001年になると、BSE初発国の数は増加し、スウェーデンを除くすべてのEU加盟国でBSEが見いだされた。これがBSEの第三の衝撃波となった。このBSE牛の急増の理由の一端は、2000年初めから迅速BSE検査法が利用されるようになり、発病前の潜伏期中の牛も含めてBSEの検出効率が高まったことにある。ヨーロッパの各国のBSEは、英国から輸入した肉骨粉または牛からの感染によると考えられている。
 英国では、BSEが餌としての肉骨粉を介して牛の間で広がっていることが推測されたため、1988年に牛や羊など反芻動物に肉骨粉を餌として与えることが禁止された。それとともに余った肉骨粉はEU諸国に大量に輸出されていたのである。二年後にはEU諸国でも英国と同様に肉骨粉の使用禁止が相ついだために、今度はEU以外の国への輸出が増大した。1990年を境に、英国からインドネシア、タイ、スリランカ、フィリピン、日本などアジア各国への肉骨粉の輸出が増す。この輸出は一九九六年に新型CJD患者が見いだされたのをきっかけに中止されたが、これらアジア各国には英国政府の統計によれば17カ国、総計 10万トン近い肉骨粉が輸出されていた。東ヨーロッパ、中近東、アフリカなどを含めると40数カ国に輸出されていた。これによって、世界的BSE汚染の可能性が生じたとみなされる。

日本を襲ったBSE

 BSEの第三の衝撃波は日本をも直撃した。2001年、千葉県でBSE第一号が見いだされた。それまで、BSE発生を想定していなかった日本では大きな社会混乱が起きた。対岸の火事ではなくなった。日本でこれまでに見いだされた
 三頭のBSE牛はいずれも一九九六年生まれである(この5月に見つかった四頭目の牛も同じ年の生まれである)。三例ともにウエスタン・ブロット法で調べると、英国のBSEに特徴的なパターンを示していることがわかった。病原体が肉骨粉として日本に輸入されたために発生したことはほぼ間違いないが、5年も前だとそれを特定することは困難である。
 英国産の肉骨粉にもっとも汚染が高かったのは1990年頃である。1989一年に人の安全対策として、英国では脳や脊髄の食用が禁止されたが、逆に肉骨粉には加えられていた。1990年に家畜の餌にも脳や脊髄の使用が禁止されたため、それ以後はBSE病原体の汚染の程度は低くなったと推測されている。この時期に日本にも英国産の肉骨粉が直接または間接的に輸入されていたとすると、それを食べた牛はBSEとなり、それが肉骨粉となり、別の牛に感染を起こすというリサイクルが起きていたと考えざるをえない。
 BSE牛第一号発生後の日本の行政対応は早かった。一ヵ月あまり後には、牛でのBSE広がり防止のために肉骨粉の全面使用禁止、積極的サーベイランスによる監視の強化、(屠畜される)すべての牛の危険部位(脳・脊髄・眼・回腸遠位部)の除去と迅速BSE検査の実施などの対策がとられた。検査で陰性の牛だけが市場に出される体制が確立した。EUでは迅速BSE検査は30ヵ月齢以上の牛についておこない、脳や脊髄の除去は12ヵ月齢以上の牛が対象である。日本ではそのような制限はもうけられていない。この全頭検査によって、第二号、第三号のBSE牛が発見された。いずれも臨床症状は見られず、発病以前であった。短期間でこのような安全対策が確立されたのは、ガイジュセックがノーベル賞を受賞した頃から始まっていた日本人によるプリオン病の研究の蓄積があったためである。
 日本におけるBSEは今後どのような推移を見せるのであろうか。食品の安全を確保する対策はできてきたが、本書でも述べられているように、BSEがどのようにして人に病気を起こすのか、科学的にはまだほとんど分かっていない。食品を介して人がBSEにさらされるリスクについて、1999年末にEU科学運営委員会が公表した見解がある。そのなかでも重要な科学的に未知な点、二つを紹介する。人がBSEに感染する潜伏期が不明。2、3年から25年とさまざまで、現在の患者数は流行の始まりなのか、終わりなのか、明らかではない。感染を起こしうるBSE病原体の最小量が不明。非常に少ない量の病原体に繰り返しさらされたらどうなるのか、明らかではない。今後もさらに研究を推進しなければならない。一方で、世界的にBSE汚染が起きている現状も認識しなければならない。グローバリゼーションの現代にあって、日本に再びBSEの波が押し寄せるのかどうか、油断を許さない。

本書と訳語について

 本書の主人公ともいえる変幻自在の“敵”は、原書で《Mal》と表記されている。この単語には、「悪」という意味もあれば、「苦痛」、「病気」という意味もある。大文字になっていることから「悪をもたらすもの」「悪霊」といった意味もこめられている。プリオン病の病原体を“敵”とみなし、“敵”のさまざまな変装姿、“敵”が社会に与えた影響、“敵”の正体を追い求める科学の進展と科学者たちの群像があいまって見事な物語に本書はまとめられている。
 フランスならではと思われるエピソードも盛りこまれている。その一例として、成長ホルモンから感染した医原性CJDがある。この患者は世界で139名、その半数以上はフランスで見いだされたものである。本書に、日本では硬膜移植により感染したCJD患者が多いとの記述がある(原注18章の1)。いわゆる薬害ヤコブ病である。ドイツからの輸入品、脳硬膜製品がヤコブ病病原体に汚染されており、それが原因で、日本において70人を超える人がCJDに感染したと考えられている。
 書名『なぜ牛は狂ったのか』は原著の直訳である。私は自分の著書の中で「狂牛病の牛は狂ってはいない」という見出しの章を書いたことがある。正反対の表現にもとれるが、著者の視点は狂った牛ではなく、中枢神経疾患の牛であることが本文から読み取れよう。
 本書の用語では伝染、伝達、感染を意識的に区別している。この点について、若干説明をしておきたい。伝染病は感染症の中のひとつを指す。すなわち、自然の状態で急速に接触や空気感染で広がり、社会的に大きな影響を与える感染症が伝染病である。この用語は20世紀半ばまでは、欧米でも用いられていたが現在では用いられていない。日本でも、人の病気では現在は用いられていない。明治時代に制定された伝染病予防法は現在では感染症法になっている。ただし、家畜の世界では伝染病予防法というように現在でも用いられている。本書では歴史的な話の場合には伝染とし、ほかはすべて感染とした。伝達は病気をうつすことを指している。伝達性海綿状脳症は伝染病ではない。実験的に病気をうつせることから、このように命名されてきたいきさつがある。そこで実験的に病気をうつす場合には伝達の用語を用い、単純に病気の広がりを示す場合には伝播の用語を用いた。
 なお、翻訳は前半14章までを山田が、15章以降を南條が担当し、意見交換して訳文を修正、最後に私が見て文章の意味、用語のチェックをおこなった。読者のご意見・ご批判をいただければ幸いである。