公益社団法人日本獣医学会 The Japanese Society of Veterinary Science

人獣共通感染症 連続講座 第102回(07/30/2000)


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ニパウイルスの自然宿主と第2回エマージング感染症国際シンポジウム

 ニパウイルスの自然宿主はオオコウモリであって、、オオコウモリからブタが感染し、そこで増えたウイルスがヒトに致死的感染を引き起こしたと推定されてきました。実際にオオコウモリからはニパウイルスに対する抗体が検出されています(本講座82回)。しかし、ウイルスの分離はなかなか成功せず、オオコウモリを自然宿主と結論する決定的証拠はありませんでした。
 今回、やっとその証拠が得られました。6月末にマラヤ大学医学部教授のラム・サイ・キットLam Sai Kit(通称ケン・ラムKen Lam)がオオコウモリの尿からニパウイルスの分離に成功したことをProMEDで報告したのです。彼はニパウイルスの分離を行ったチュア・カウ・ビンChua Kaw Bingの上司です。
 私はたまたま、このProMEDの報告をカナダのケベックで開かれていた第11回マイナス鎖ウイルス学会(この第10回学会については本講座55回でご紹介しました)に出席していた際に読みました。この学会にはCDCのニパウイルス研究者のほとんど、すなわち、ブライアン・マーヒーBrian Mahy、ビル・ベリーニBill Bellini、ポール・ロタPaul Rotaが出席していましたが、彼らもProMEDの情報しか持っていませんでした。
 今回、アトランタで開かれたCDC主催の第2回エマージング感染症国際シンポジウムで追加セッションとして、ケン・ラムがオオコウモリからのニパウイルス分離の成績を発表しました。ポール・ロタによると多分、このシンポジウムの1週間ほど前に急遽、追加演題として組み入れられたのだろうということでした。ポール・ロタはニパウイルスの遺伝子解析を実際に行った人で、その成績は最近のScienceとVirologyに載っています。その彼も詳細はまったく知らないとのことで、かなりホットな情報が今回発表されたわけです。
 前置きはこれくらいにして、ウイルス分離の話に入ります 。
 オオコウモリは樹上にとまっていますので、その下に大きなプラスチックシートを敷き、朝早くそのシートの上に落ちてきた尿のスポットを集めたのです。たまたま、この発表の前の晩にブライアン・マーヒーの家でのパーティでケン・ラムから聞いたのですが、マレーシアでもオオコウモリは日本と同様に保護動物になっています。したがって捕獲して材料を採取するということはできないということでした。オーストラリアのチームが自然宿主調査のために来た際にはあっという間に40羽ほど撃ち落としてマレーシア側があわてたそうです。
 自然に落ちてくる尿を集めるという方式は射殺という欧米方式に比較して、いかにも東洋的な感じがします。
 このシートを張る際にはオオコウモリが攻撃してきて、大変だったそうです。チュア・カウ・ビンの腕にはオオコウモリに突っつかれて赤く腫れている痕ができ、それがスライドで示されました。
毎晩300スポットくらいずつ、3晩で約1000の尿のサンプルを集めてヴェーロ Vero細胞で分離を試みた結果、ニパウイルスに特徴的な細胞変性効果を示すウイルスがとれてきました。これがニパウイルスであるという証拠は、専門的ですが次のとおりです。

ウイルスに感染したヴェーロ細胞は蛍光抗体法でニパウイルスの抗体と反応し、ヘンドラウイルスの抗体とは弱い反応を示しました。さらにウイルスのN, P, M遺伝子のプライマーによりポリメラーゼ・チェーン反応で増幅された遺伝子産物は、ヒトから分離されていたニパウイルスと一致しました。N遺伝子は1599塩基対のうち、1個違うだけ、NとPのジャンクションはまったく同じ、P遺伝子は2130塩基対のうち、1個が違っているだけでした。すなわち尿から分離されたウイルスとヒトからのニパウイルスと遺伝子配列が一致したわけです。

一方オオコウモリが食べ残した果物からもウイルスが分離されました。
これらの結果からオオコウモリの自然宿主がニパウイルスであることが確定したことになります。ニパウイルスをオオコウモリに実験的に接種しても病気は起こしません。 

第2、第3のオオコウモリ由来ウイルス
オオコウモリの尿からはニパウイルスのほかに2つのウイルスが分離されました。ひとつはチョーマンTiomanウイルスと命名されました。この名前の由来をケン・ラムに聞くことは忘れましたので、そのうちに確かめてみたいと思います。

オーストラリアのジョン・マッケンジーJohn Mackenzeeが別のセッションで話した成績ですが、チョーマンウイルスはオーストラリアでオオコウモリから分離されていたメナングルウイルスと遺伝子配列では80%の相同性があるそうです。メナングルウイルスは本講座(65回、70回)でご紹介しましたが、ブタで流産を起こしヒトではインフルエンザ様の病気を起こしたウイルスで、パラミクソウイルス科ルブラウイルス属に分類されています。したがって、チョーマンウイルスも同じルブラウイルス属とみなされます。もうひとつのウイルスについては、ケン・ラムの話ではまだ名前はつけておらず、分類もこれからとのことです。

オーストラリアではヘンドラウイルスがきっかけで、狂犬病ウイルスとほとんど同じオーストラリア・リッサウイルスという2名のヒトへの致死的感染を起こしたウイルスも分離されています(本講座79回)。メナングルウイルスとあわせて3種類、マレーシアでもニパウイルス、チョーマンウイルス、まだ命名されていないウイルスの3種類と、オオコウモリから新しいウイルスがいくつも出現したわけです。

ウイルス属名 
ヘンドラウイルスは最初、パラミクソウイルス科の麻疹ウイルスと同じモービリウイルス属と考えられ、ウマモービリウイルスと命名されました。しかし、モービリウイルス属とは異なり、とくに遺伝子構造がほかのパラミクソウイルス科のウイルスよりはるかに大きいことから、オーストラリアのグループはメガミクソウイルス属という名称を提唱していました(本講座80回)。
ところが、今回のシンポジウムではジョン・マッケンジーはヘニパHenipaウイルス属という名前を提唱していました。
ウイルス分類は国際ウイルス学会の中の国際ウイルス分類委員会International Committee on Taxonomy of Viruses: ICTVで決めることになっています。現在は第6回ICTVレポートの分類が用いられています。本来は昨年シドニーで開かれた国際ウイルス学会で第7回レポートが発表される予定でしたが、理由はよくわかりませんが、まだ発表されていません。校正刷りはできたと聞いているのですが。この中にはヘンドラウイルス、ニパウイルスともに未分類のままのようです。多分、第8回レポートの際に新しい属名がつけられるのでしょう。
なお、ついでですが第7回レポート作成の際のICTV委員長はC.R.プリングルPringleです。ProMEDで長年司会者Moderatorをつとめていたチャールズ・カリシャーCharles H, Calisherの後をひきついで、ProMEDの司会者になった人ですk。ProMED のニュースの最後にMod. (Moderator) CPと記されています。カリシャーはMod. CHCです。

ブライアン・マーヒー宅でのパーティ

シンポジウム2日目の7月17日の夜、ブライアン・マーヒーの家で20名弱の人が集まってなごやかなパーティが開かれました。150年あまり前に建てられアトランタ市の史蹟に指定されている、広い邸宅の庭のイギリス風の池のまわりでの楽しいひとときでした。
私は東大医科研の甲斐知恵子先生と招待されたのですが、集まった人たちの多くはヘンドラウイルスとニパウイルスを中心にエマージングウイルスの最前線の人たちでした。この講座に登場している人も何人かいます。余談として、これらの人たちのプロフィールを簡単にご紹介します。 

「ブライアン・マーヒー」衆知のようにCDCのウイルス・リケッチア病部門長でした。500人ものスタッフが働いているこの大きな部門にはレベル4実験室を持つ特殊病原部があり、ブライアン・マーヒーはエマージングウイルス対策の中心人物として活躍してきました。たとえば、ハンタウイルス肺症候群、ヘンドラウイルス、エボラ出血熱、ホンコンのトリインフルエンザ、ニパウイルスと、主なエマージングウイルスのほとんどで陣頭指揮をとってきました。そのほか、天然痘ウイルスの全遺伝子解析のリーダーもつとめました。
しかし、今年の春に部門内のトラブルから突然、部門長を辞めて、その上部組織であるNational Center for Infectious Diseases(NCID)の上級研究員になりました。トラブルの最初は慢性疲労症候群の研究費をエボラウイルス研究などに転用したことが問題にされたことです。これは一応、おさまったのですが、次に今度は同様にハンタウイルス研究にも転用していたことが議会で取り上げられて辞めざるをえなくなったのです。CDCでは新しい感染症が発生した際に使用できる予算は限られており、エイズが見いだされた時にも、ほかの目的の予算が転用されてエイズ問題の取り組みに貢献しています。このような形の予算の転用はこれまで、まったく問題にされていませんでした。しかし、たまた大統領選の時期で野党側からこれが違法とされたわけです。このいきさつはサイエンス誌に2回にわたって掲載されています。私が会ったCDCのウイルス・リケッチア病部門の研究者たちは皆、彼がいなくなったことを大変残念がっていました。
CDCはいくつものNational Centerが集まった組織で、NCIDもそのひとつです。したがって名称はCenters for Disease Control and Preventionと複数です。NCIDは組織上ではウイルス・リケッチア病部門の上に位置しています。なお、彼は昨年まで国際ウイルス学会会長で、現在は国際ウイルス学会と国際細菌学会が合体した国際微生物連合の会長になっています。これからは国際的な仕事が多くなると思われます。

「ケン・ラムKen Lam」 
前述のようにニパウイルス分離をはじめ、人のニパウイルス感染研究の中心になって いる人です。ProMEDではKen Lamの名前で投書していますが、これはアメリカ式の通称です。マレーシアでは日本 式に姓を先に書きます。英語でも 同様ですので、正式にはラム・サイ・キットLam Sai Kit(中国系でラムの漢字は林)です。これまでProMEDでふたりの人がいるようにも 受け止められていたのが、同 一人物であることが今回、このパーティで初めて確認できました。


「ジョン・マッケンジーJohn Mackenzee」 
スコットランド生まれの英国人で、オーストラリア、ブリスベーンにあるクイーンズランド大学の微生物学・寄生虫学教授です。昨年の国際ウイルス学会では大会長をつとめており、オーストラリアでのヘンドラ、メナングル、コウモリ・リッサなどさまざまなエマージングウイルス対策で中心的役割を果たしています。

「ピーター・カークランドPeter Kirkland」
メナングルウイルスを分離した人で、今回もメナングルウイルスの発表をしていました。なお、メナングルウイルスの研究成績はAustralian Veterinary Journalに3つのレポートとして、近く発表 されるそうです。

「ヒューム・フィールドHume Field」 
ヘンドラウイルスの自然宿主解明の中心になった人で、ニパウイルスについてもオオコウモリの調査を行ってきました。

「チャールズ・カリシャーCharles Calisher」

ProMEDの司会者で毎日CHCの名前ですばらしいコメントを書いてきましたが、前述のように最近、C.R.プリングルと交代しました。彼はコロラド州立大学教授ですが、コロラドの山の中の何もないところに家を建てて奥さんと住んでいるそうです。冬の寒さはどうかと尋ねたところ、ワイフと一緒の場合を聞いているのか、それともひとりだけの場合を聞いているのかと。ひとりだけだったら、ものすごく寒いという返事でした。まったく隔絶された場所だがインターネットで全世界と連絡を続けるそうです。

「イアン・リプキンIan Lipkin」 
ニューヨークでの脳炎をCDCが最初セントルイス脳炎と診断していた時に、これがウエストナイルウイルスであることを発表して一躍有名になりました(本講座87回)。カリフォルニア大学アーヴィン校のエマージング感染症研究部の教授ですが、まだ40才前半と推測される若い人です。6月にカナダのケベックで開かれたマイナス鎖ウイルス・シンポジウムの発病機構のセッションでは私と一緒に座長をつとめる予定でしたが、急病で欠席してしまい、私は今回、初めて会いました。

このほかにエモリー大学のコンパンスCompans教授、CDCウイルス・リケッチア病部門でブライアン・マーヒーの片腕になっていたリマ・カバスRima Khabaz副部門長など、以前から私の知り合いでもある地元の人たちも参加していました。
ところで、この日は私の69回目の誕生日でした。ウイルス研究最前線の人たちにHappy Birthday Dear Kazuyaの合唱でお祝いをしていただき、感激しました。この時にはオーストラリア時間ではすでに18日になっていて、これはピーター・カークランドの誕生日でした。それだけではなくもうひとり、前の日に誕生日を迎えたという人がいました。結局7月16,17,18日生まれが揃っていて、その3人の誕生日のお祝いの合唱になりました。私にとってすばらしい思い出となりました。