人獣共通感染症 連続講座(第9回)7/11/95


エマージング・ウイルス(2)

3。エマージング・ウイルスの例

 エマージング感染症は新たに人や動物の集団の中に出現したもの、または以前から存在していたものが急激に発生が増加もしくは広い地域に拡がってきたものと定義されています(ステイーブ・モース)。
 この約40年間に現れた主なエマージング・ウイルスを思いつくままに列記してみたいと思います。個々のウイルスの詳しい説明は必要に応じて別の機会に取り上げることにします。

1957 アルゼンチン出血熱(フニンウイルスーアレナウイルス科)
1959 ボリビア出血熱(マチュポウイルスーアレナウイルス科)
1967 マールブルグ病(マールブルグウイルスーフィロウイルス科)
1969 ラッサ熱(ラッサウイルスーアレナウイルス科)
1969 急性出血性結膜炎(エンテロウイルス70 ーピコルナウイルス科)
1976 エボラ出血熱(エボラウイルスーフィロウイルス科))
1977 リフトバレー熱(リフトバレーウイルスーブニアウイルス科)
1981 エイズ(人免疫不全ウイルスーレトロウイルス科)
1985 牛海綿状脳症(プリオンー細胞由来蛋白;ウイルスではない)
1989 カニクイザルのエボラウイルス感染(エボラウイルスーフィロウイルス 科)
1993 ハンタウイルス肺症候群(ハンタウイルスーブニアウイルス科)
1994 馬モービリウイルス感染(モービリウイルスーパラミクソウイルス科)
1995 エボラ出血熱(エボラウイルスーフィロウイルス科)

 アルゼンチン出血熱とボリビア出血熱はいずれもアレナウイルス科に属するウイルスにより起こるもので、1950年代に出現しました。上の年代はウイルスの分離同定が行われた年です。アレナウイルス科で代表的なのはネズミを宿主とするリンパ球性脈絡髄膜炎(LCM)ウイルスです。フニンウイルス、マチュポウイルスも同様に齧歯類を宿主としています。前者はCalomys musculinus, Calomys laucha、後者はCallomys callosusが宿主です(日本名は後で調べますー自宅に動物分類図鑑を置いてありませんので)。   
 マールブルグ病についてはとくに説明の必要はないと思います。極めて高い致命率の病気を起こす未知のウイルスをアフリカからのサルが先進国に持ち込んだという大変衝撃的な出現でした。

 マールブルグ病にひきつづいてラッサ熱が起きたことから高度危険ウイルスへの関心が高まりました。ラッサ熱が発生したのと同じ1969年には急性出血性結膜炎が話題になりました。これはガーナの首都アクラに突然現れ半年の間で2万人もの患者が出ています。ちょうど月への宇宙船アポロ11号の到達するという時期にこの病気が現れたことからアポロ11病という名前がガーナの人により付けられました。そして短期間に東南アジアから日本にまで拡がりました。この原因ウイルスは予研の甲野礼作先生のグループが分離に成功し、新しいエンテロウイルスであることが明らかにされエンテロウイルス70と名付けられています。このウイルスは結膜炎のみでマールブルグウイルスのような高い病原性はなかったために、最近ではあまり話題になることはありません。

 1976 年にはエボラ出血熱の流行がザイールとスーダンで起こり、そして1979年にスーダンでふたたびエボラウイルスの流行が起きました。ここでラッサ、マールブルグ、エボラと3つの高度危険ウイルスが出そろいました。日本の厚生省が国際伝染病対策委員会を設置し、予研のP4実験室建設計画など一連の対策を始めたのはこの時からです。

 リフトバレー熱は羊と牛の間で流行を起こしていますが、人が感染すると出血熱を起こし、致命率は50%にも達します。原因ウイルスはブニアウイルス科フレボウイルスPhlebovirus属に分類されています。1930年にケニアの羊の間での大流行で分離されたものですが、1950ー1951年にふたたび大流行を起こし南アフリカでは10万頭の羊が死亡し50万頭が流産したと言われています。最近でのもっとも重要な大流行は1977ー79年にエジプトで起こりました。この流行では数100万人が感染し、数1000人が死亡しました。

 エイズは1980年代初めに出現しました。急激に発生が増加し、しかも全世界に拡がり、まさに有史以来もっとも重要なエマージング・ウイルスです。

 1985年から英国の牛で起きた牛海綿状脳症(別名、狂牛病)は英国全土に拡がり、すでに10万頭以上が発病し、殺処分されています。病原体はかってはスローウイルスのひとつともみなされ、ウイルス学領域で研究が行われてきました。しかし現在では細胞の遺伝子が作る蛋白(プリオンと命名されています)の構造が変化して発病するという説が広く受け入れられ、プリオン病のひとつとみなされるようになりました。この病気がとくに問題になっているのは病気の牛の肉から人が感染するおそれがあるという疑いからです。科学的にはこの疑問に対する答えは出ていません。ウイルス病でもなく、人獣共通感染症という範疇にいれるのは妥当ではありませんが、病気の発生の背景などいろいろな面で多くの示唆に富んでいますので、エマージングウイルスの重要な例としてモースの編集したEmerging viruses (Oxford University Press,1993) でも取り上げられています。なお、この病気について興味のある方は山内一也・立石潤編スローウイルス感染とプリオン(近代出版1995)をご覧ください。自分の本の宣伝で申し訳ありませんが。

 1989年にフィリピンから米国に輸入したカニクイザルに起きたエボラウイルス感染はこれまでにPrimate Forumで何回も話題になっていますので説明の必要はないでしょう。

 ハンタウイルス肺症候群については前回、簡単に触れましたので省略します。

 1994年にはオーストラリアの馬でのモービリウイルス感染が起こり、人も2名が感染し1名は死亡しました。この話はこの講座の第1回で取り上げました。

4。エマージングウイルス出現の背景

 現代社会の発展が新しいウイルスの出現または再出現にかかわっています。その要因についてモースは上述の本Emerging virusesと最近の総説Factors in the emergence of infectious diseases (Emerging Infectious Diseases Vol. 1 No. 1, 7-15, 1995)の中で明快に整理をしています。それをもとに私なりにまとめてみることにします。

1)生態系の変化と農業発展
 森林の伐採、ダムの建設、森や草原の開墾など農業による生態系の変化は森林などに生息する野生動物のウイルスと人との接触の機会を増加させる。また人家の周辺に生息するねずみなどにとっては豊富な餌を与える結果となります。
 ハンタウイルスによる腎症候性出血熱に関心が寄せられるようになったきっかけは1951年から1954年にかけての朝鮮戦争で国連軍の兵士の間で、本病が発生し3,000人もが感染したことです。それまでも中国、韓国で本病は地方病として存在していたのが、国連軍兵士での流行から研究がさかんになったわけです。現在でも中国では年間10万人以上の患者が出ています。原因ウイルスの自然宿主はセスジネズミであって、彼らにとってたんぼの稲は重要な食糧です。ネズミではウイルスは持続感染を起こし、ウイルスは尿の中に排出されます。それに汚染したほこりなどを吸い込むことで人への感染が起こります。そのため稲の収穫時期である秋に患者の数は増加します。農業と本病の感染は密接な関連があるわけです。

 ラッサウイルスの自然宿主は齧歯類のひとつであるマストミスです。この場合もウイルスは持続感染を起こして尿の中に排出され、それから人への感染が起こります。この動物は人家の周辺に生息しております。人家が増え、都会化が進むことでマストミスの数が増えて人への感染の機会が増大すると考えられています。

 昨年の米国でのハンタウイルス肺症候群がなぜ起きたのかはまだわかっていません。このウイルスの自然宿主がシカネズミや白足ネズミであって、たまたま彼らが餌とする松の実が大雨の影響でたくさんみのったためという説明もありますが、あまりたしかではありません。おそらくなんらかの環境変化がかかわっているのでしょう。

 アルゼンチンではパンパと呼ばれている草原で牧畜が行われています。第1次と2次大戦の間にここが耕されてとうもろこし畑に変えられていきました。第2次大戦後、除草剤が使用されるようになり畑への転換は急速に進み、背の高いとうもろこしがおいしげるようになり、そこで新しい住人としてCalomys musculinusが増えるようになったのです。これがアルゼンチン出血熱の原因ウイルスであるフニンウイルスの自然宿主です。この場合もラッサウイルスやハンタウイルスと同様にウイルスはネズミの尿の中に排出されています。

 リフトバレー熱は羊と牛での流産や奇形を起こし、人では主にて獣医や屠場従業員の病気として認められていました。1977年に南アフリカのヨハネスバーグ周辺の平地リフトバレーで致命的な肝炎と出血熱の流行が起こりました。その後、2ー3年の間に本病はそれまで汚染のなかったエジプトのナイル川下流のデルタ地域で大流行を起こしました。原因ははっきりはわかっていませんが、アスワンダムの建設のために人と家畜の大きな移動があって、その際に持ちこもれたものと推測されています。

2)人口動態と行動の変化

 国連の試算によれば人口の増加に伴い田舎から都市部への人の移動が今後も続いて2025年までに世界の人口の65%は都会に住むようになるといわれています。都市環境のもとで急速に拡がった代表的なものはエイズです。
 
 デングウイルスはおそらくアジアの熱帯地域のサルに寄生して進化してきたと考えられています。サルではほとんど症状を出しませんが、人では軽い症状から時には重症になります。重症の場合はデング出血熱と呼ばれるものです。臨床的にデング出血熱とみなされる病気は19世紀終わりにオーストラリアで、つづいて1928年にギリシャで報告されています。1950年にタイで流行が起こり、その後30年間にタイ全土から南アジアと東南アジアに拡がっています。1981年にはキューバに、1989年にはポリネシアに拡がり、さらに1989-1990年にはベネズエラ、1990年にはペルー、1992年にはブラジル、コロンビアで発生が見られています。この30年間で270万人以上が入院し、感染した人は20億人以上と推定されています。

 デングウイルスは蚊で媒介され、都会では雨水がたまった古タイヤやプラスチックボトルが蚊の繁殖を助けています。人口の増加は蚊の数の増加にもつながります。

 人の行動の変化が病気の拡がりにかかわった例としてはエイズがあげられます。同性愛、薬物使用などがエイズが最初に拡がるきっかけになったことは良く知られています。

3)国際交流と貿易

 航空機の発達で人や物の移動が極めて短期間で行われるようになりました。もともとウイルスには国境は存在せず、人、動物、物などの移動に伴ってウイルスも容易に運ばれてきます。マールブルグウイルスがウガンダから輸入したミドリザルによりドイツ、ユーゴスラビアに持ち込まれた例、フィリピンからのカニクイザルによりサルのエボラウイルスが米国に持ち込まれた例は、このことを如実に示しています。

 アポロ11病と呼ばれた出血性結膜炎がガーナで発生したのは1969年でした。流行は西アフリカの海岸線と交通路にしたがって東西に拡がりました。翌年にはシンガポール、ジャワ島で発生し、1971年にはフィリピン、中国、韓国、台湾、日本で大流行を起こしました。ところが北アフリカに流行が起こるまでには3年間もかかっています。アジアでは人口密度が高く、交通もひんぱんなためと考えられています。西アフリカから1万3,000キロ以上離れた東南アジアに流行が飛び火した点について甲野礼作先生は西アフリカで始まった病気がメッカ巡礼によりアジア回教圏に拡がったのではないかという興味ある推理をされました。

 蚊はデングウイルス、黄熱ウイルスなど多くのウイルスの媒介をします。黄熱がアフリカから新大陸に拡がったのは奴隷貿易の際に船荷とともに媒介蚊であるハマダラ蚊Aedes aegyptiが持ち込まれたためと推測されています。デングウイルスを媒介する蚊Aedes albopictusは1982年にアジアから輸入した中古タイヤとともに米国テキサスに運ばれ、その後現在では少なくとも18の州でこの蚊が生息しています。同様にしてAedes albopictusはブラジル、アフリカにも拡がっています。

4)技術と工業

 医療行為にともなう病気の拡がりはエボラ出血熱での注射器の例がとくに知られています。血液製剤によるエイズの拡がりも同じです。

 先に述べた牛海綿状脳症は牛の離乳食を介して英国全土に拡がったものです。離乳食には羊の内臓を蛋白源として添加しており、たまたま用いた羊にスクレイピーに感染していたものがいて、そこで羊のスクレイピーが種の壁を越えて、牛で拡がったものです。スクレイピーに汚染した羊の内臓が混入するおそれはこれまでも多くあったはずなのに、今回に限ってこのような大流行になった理由は良くわかりませんが、1970年代はじめにオイルショックが起きたために石油の使用を節約する目的で、それまでまとめて加熱して調製していたバッチ法を連続加熱方式に変更して、加熱温度も低くしたために病原体の不活化が不十分になったことがかかわっているのではないかといわれています。


Kazuya Yamanouchi (山内一也)

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