動物行動医学という立場からみた獣医師の役割

森 裕司       
(東京大学 大学院農学生命科学研究科
獣医動物行動学研究室・教授)

  1. 現代における人と動物の新たな関係
    今や小型犬だけでなく中大型犬も屋内を中心に飼われることが多くなり,また集合住宅では猫は室内飼育されるのがあたりまえとなった。その結果,人と動物は必然的により密度の濃い時間をともに過ごすことになり,動物達の何気ない仕草に魅了されたり,肌の温もりに心癒されたりしながら,動物が今まで以上に欠くことの出来ない存在になってきた。そして,彼らが私たちの生活にいかに潤いをもたらしてくれるか,ということに改めて気づく人の数は年々増加しているようである。
    動物との日常的な触れ合いを通じてストレス状態が緩和され,心身の健康が増進されることは,昔から気付かれてはいたことだが,近年,実証的なデータが数多く提示されるようになった。その中には,動物が人と人との関係において潤滑油的な役割を果たしている,といった予期せぬ効果まで含まれており,こうした研究の進展を背景に医療行為であるAnimal Assisted Therapy や訪問活動などのAnimal Assisted Activityといった概念も社会的に定着してきたようである。最近では子ども達の情操教育にも動物を活用しようという Animal Assisted Education も注目されている。
    私たちの祖先がチンパンジーと袂を分かったのは500万年ほど前、そして現代人につながる道を歩み始めたのは約十万年前のことと推定されている。私たちが人種や文化の壁を越えて共有しうる感情の機微や情動反応といった行動様式の基盤は,おそらく,この長い年月の間に培われ,幾多の試練に遭遇した先祖達がこれを乗り越えてゆく過程で,適応進化の結果としてゲノム(あるいはエピジェネティック)に深く刻まれていった遺伝的情報と言うことが出来るだろう。こうしたタイムスパンから見ると,現代社会の文明に囲まれた生活は,ほんの一瞬前に咲き始めたアダ花のようなもの。すべてが便利で快適であるはずの現代社会が一方でストレス社会といわれるのは,あまりにも急激な環境変化に心身が不適応症候群を示しているためとも解釈できる。動物のさりげない所作を見ているうちに心なごんだり,暖かい温もりに触れて心安らいだりするのも,忘れかけていた母なる自然への憧憬が,そうした原始的な感覚入力を介して私たちの心の奥底から呼び覚まされるせいかもしれない。

  2. 動物の行動上の問題と獣医師の取り組み
    上記のように動物達は、ともすれば無味乾燥に陥りがちな現代生活に潤いと安らぎを与えてくれるかけがえのない存在となり得るのである。さらには高齢化社会を迎え,医療費が際限なく膨張して財政を圧迫しかねない状況の中で,こうした動物達の潜在能力に対する期待が膨らみつつありる。ただ,動物達の素晴らしい効用は,あくまで心身ともに健康な動物が世の中に提供されて初めて享受できるものである。獣医師は,その専門知識と技量をもって動物の健康の維持管理に貢献する責務を負っているわけだが,同時に動物に関する職業的専門家として,すなわち動物と人を結ぶインターフェイスとして,今後は動物の示す行動的な問題への対処を求められる機会がますます増えてゆくものと思われる。
    米国を例に取ると,毎年数百万頭ものイヌやネコが処分されており,その半数あまりは問題行動が原因で飼育を放棄された動物だという。ごく最近まで,問題行動の最も一般的な解決方法は,残念ながら安楽死であった。決して望ましい手段ではないし問題の根本的な解決にはなり得ない。ミネソタ大学のアンダーソン博士によれば,「仮に特定の疾患によって年に数百万頭もの動物が死亡したとすれば,社会的な大問題として政府も手をこまねくことなく対策に乗り出すであろう。まさに問題行動を原因としてそのような事態が起こっているのに,誰も本腰を入れようとはしてこなかった」のである。しかし過去20年余りの間に起こった獣医動物行動学分野の著しい進展を背景に,ようやく問題行動が治療の対象となり得ることが知られるようになり,社会的関心も徐々に高まりを見せている。
     ヒトが動物を飼いはじめる最大の動機は,動物達の行動に惹かれてである。一方,ヒトが動物との暮らしを放棄する最大の理由もまた,その行動が手に負えなくなってであることが知られている。かわいがっていたペットが飼い主のいうことを聞かなくなったり,家族に対して突如として攻撃的になったり,理由もなく吠え続けたり,留守中に家中を荒らして回ったり,ところかまわず排泄して部屋を汚したり,といった問題行動は,当事者にとってみればときには家庭生活の崩壊にもつながりかねない重大問題に発展し得るのである。
     問題行動には,仮に動物にとってはなんら問題のない正常な行動であっても,一緒に暮らしているわれわれ人間にとっては不都合となる行動が含まれており,問題行動の種類や程度によってときには動物との生活の中断を余儀なくされるほどの重大な支障を生じることさえある。もちろん問題行動の中には中枢神経系やその他の臓器に何らかの病変を伴うような異常行動が原因となっているケースもあるが,その頻度は一般的に低い。言い換えれば,問題行動はヒトにとって問題となる行動と定義することができ,動物にとって本来は正常な行動と何らかの病変を伴う異常行動の2つの異なる要素から構成されているわけである。例えばイヌが示す分離不安や順位付けに伴う攻撃行動は群れで生活するイヌ科の動物にとってはごく正常な行動的反応であり,また雄ネコが尿を部屋のあちこちにスプレーするのも正常な匂い付けによるマーキング行動の一種である。もし攻撃行動や破壊行動,拒食症や不安症といった問題行動の原因について何らかの理論的な説明が可能であれば,もしくは野生動物に参照すべき行動パターンがあるとすれば,これらの問題行動はいずれも正常な行動のカテゴリーに入れられるべきであろう。
     一方,産業動物の行動学研究分野においては飼育環境に由来するストレスの影響がとくに注目されており,行動パターンの変化を指標とした応用行動学的研究が進められている。ストレスによる畜産物の減収という経済的影響もさることながら,最近では欧州を中心として,とくに動物福祉という観点からの検討が進められている。産業動物は,われわれに食料や労力を提供してくれる人間社会になくてはならない存在であり,長い家畜化の歴史の中でヒトと産業動物の関係が築かれてきたが,近代になって他の産業の発展と歩調を合わせるように経済効率のみがいたずらに追求され,大規模で集約的な畜産経営が偏重されてきたきらいがある。その結果,家畜は畜産製品を生み出す機械のように取り扱われることになり,ヒトと動物の関わりは次第に希薄になっていった。このような状況に対する反省にたってストレス状態の客観的な評価系を確立し家畜の飼育環境を少しでも改善することを目的に,産業動物における応用行動学的研究が盛んになってきている。実際,欧州では,ケンブリッジ大学獣医学部の例にみられるように,応用動物行動学と動物福祉学がセットで教育研究に組み込まれているところも少なくない。ここでも家畜のもつ本来の行動のレパートリーをつまびらかにし,正常な行動パターンを理解することが基盤となる。こうしたスタンスが,コンパニオンアニマルの行動について論ずる上でも大いに役立つことはいうまでもない。

  3. 動物行動医学の現状と課題
     わが国の獣医系大学に動物行動学を標榜する講座が初めて設置され実質的な活動がスタートしたのは、平成3年度(1991年)のことであった。筆者がケンブリッジ大学やカリフォルニア大学の獣医学部における講義を参考にしながら、暗中模索で獣医動物行動学の講義をはじめてから、いつのまにか十数年が過ぎた。この間に東京大学ばかりでなく、いくつかの大学(岐阜大学、東京農工大学、大阪府立大学、宮崎大学、鹿児島大学など)で集中講義を行ってきたが、この分野に対する獣医学生達の関心の高さに驚かされることも少なくなかった。ありがたいことに、2,3の大学では動物行動医学が正規のカリキュラム採用され始めている。生命科学の発展に伴って獣医師として学ぶべき事項も年毎に増加しているが、知識の偏重はともすれば“木を見て森を見ない”という状況を招きかねない。こうした獣医学にとってのいわば本末転倒を防ぐには、まるごとの存在としての動物を壮大な時空のスケールで捉えるスタンスを身につけることが有効と思われる。獣医師の卒後教育プログラムにも行動医学を取り入れるべきと筆者が考えるゆえんである。
    わが国の現状はさておき、国際的な視点に立つと、この間に動物行動医学は飛躍的な発展を遂げたと言えよう。北米やフランスでは90年代の半ばより行動治療学の専門医認定制度が発足した。医学領域での心療内科あるいは精神神経科に相当する専門分野である。また1997年からは隔年で国際獣医動物行動学会が開催されるようになり、昨夏にはオーストラリアで第4回の大会が開かれた。イヌの重要な問題行動の一つである分離不安の治療補助薬として1999年に認可された抗不安薬については、その治療試験が世界規模(北米、欧州、豪州、日本)で行われ、その過程で初めて各国の専門家の間で緊密な情報交換と議論が行われたのも、この分野においては特筆に価する出来事であった。
    獣医動物行動学の目的は,まず獣医学が対象とするさまざまな動物種について,それぞれの種に特異的な行動様式(Species specific behavior)を環境との関わりの中で研究し,行動の様式と発現機序を解明することにある。これにより高等動物における行動の多様性と統一性を理解すると同時に,病態の行動学的解析により得られた知見と併せて,疾病の予防,診断,治療の改善に役立て獣医学の発展に寄与することを目指している。動物行動医学の基本的スタンスは比較行動学的アプローチであり,このため家畜における行動の発現機序を明らかにし実際面への応用を目指す家畜行動学とオーバーラップする点も少なくない。これらの学問から期待される成果として,獣医学領域では診断・取扱い技術の向上,あるいは行動と伝染病との関係といった公衆衛生学的知見の集積などへの貢献が,また畜産学領域では家畜管理システムの改善,繁殖技術の向上,育種方向の検討や家畜福祉などへの貢献が考えられる。
     獣医動物行動学が今後取り組んでいくべき重要な研究課題としては,まず動物機能の中枢神経系を介した制御法の開発が挙げられる。すなわち神経行動学を基盤として摂食行動や生殖行動の発現を司る中枢メカニズムを解明し,フェロモンや摂食調節物質などの同定とその応用を図ろうとするものである。また行動異常を指標とする診断法を確立し病態行動学として発展させていくためには,脳波やCT,MRIなどを活用した診断精度の向上や,免疫神経内分泌系と行動の関係などに関する理解を深めていく必要があり,これに関連して心因性の疾患などに対しても行動学的治療法の役割がますます重要になるものと予測される。現代社会では多くの人が抗不安薬あるいは精神安定剤といった向中枢薬を常用しており(米国の統計では成人人口の一割にのぼるという)、心因性のストレスがもたらす疾病は枚挙に暇がない。こうした悩み多き飼い主のもとで暮らす動物たちの多くも同様な環境(物理的あるいは生物的環境)ストレスに曝されており、さまざまな疾病の素因として行動学的な観点が不可欠になりつつある。
     野生動物の保護も今後の獣医学が積極的に取り組むべき大切な分野の一つである。地球規模での環境保全が随所で叫ばれる中,人間と動物の調和のとれた社会を構築していくためには家畜やコンパニオンアニマルだけでなく野生動物についても配慮が必要であるが,その基礎となるべきこれらの動物の行動についての知識の集積はまだ十分ではない。人間の行動様式から発した擬人的解釈の横行は,真の動物福祉の思想の成立にとってはマイナスの要因にすらなっている。野生動物の保護管理のためには,自然条件下における行動特性の理解や動物間におけるケミカルコミュニケーションの解明などが重要課題として挙げられよう。
     また動物福祉(Animal Welfare, Animal Welbeing)の問題については,獣医学や畜産学など応用動物科学に携わるものにとって今後ますます重要となることが予測されている。1965年に英国議会に提出され家畜福祉推進運動の最初の指針となったBrambell報告(集約畜産下での家畜福祉に関する調査委員会報告)では,“家畜の生き方(行動パターン)に適した管理システムを考えることなしに真の生産性向上はあり得ない”ことが明言されたが,欧米では動物福祉の問題はすでに大きな社会問題にまで発展している。国際獣医連合(WVA)の指針にも繰り返しうたわれているように,獣医師は動物行動学的な知識と技術を駆使してこの課題に取り組んでいくことを要請されており,ストレス状態に対する客観的評価法の確立といった科学的根拠をもつ新たな問題解決の切口が必要となろう。
     獣医学における動物行動学は,行動発現の基盤である形態や機能を研究対象とする基礎獣医学,それらの病態を扱う臨床獣医学,行動のもたらされた要因と結果に関連する応用獣医学など獣医学に内包されるおよそすべての領域と密接に関連する学際的な研究分野であり,上記のごとく多岐にわたる現実問題への取り組みを期待されている。今後わが国における獣医動物行動学の発展を支えていく3本の柱は,臨床獣医学(Clinical veterinary medicine),動物行動学(Ethology)そして神経科学(Neuroscience)であり,これらの分野が重なり合いそして融合する領域にこそ新たな獣医動物行動学の展望が開かれるであろうと考えられる(図)。動物行動の正常と異常を体系化しその発現機構を明らかにすることで,経験豊かな獣医師が動物を眺めただけで正確な診断をこともなげに下していく秘密を解き明かしていきたいというのも,斯学の船出に立ち会うことになった筆者達の夢の一つである。

参考図書
動物行動学入門(ハート・森訳1995)チクサン出版
イヌとネコの問題行動治療マニュアル(武内・森著2001) ファームプレス
動物行動医学(オーバーオール・森監訳2003) チクサン出版
犬その進化・行動・人との関係(サーペル・森監訳1999) チクサン出版
臨床獣医師のための猫の行動学(ビーバー・森監訳1997)文永堂出版