公益社団法人日本獣医学会 The Japanese Society of Veterinary Science

人獣共通感染症 連続講座 第126回(12/20/2001)


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新刊書:狂牛病(BSE)・正しい知識

日本でのBSE発生は大きな社会問題になっています。BSEの科学的側面についての正しい情報を伝える目的で、一般読者を対象として、Q & A方式の解説書を河出書房新社から出版しました。科学が専門ではないライターの高木裕(ヒロ)さんに手伝っていただいたものですので、分かりやすい内容になったものと思います。その目次、まえがき、あとがきの部分をご紹介します。

なお、以下の3カ所にミスがみつかりました。
10ページ、10行目 1999年--2000年
48ページ、3行目 1999年--2000年
54ページ、3行目 1999年--2000年

「目次」
第一章 牛海綿状脳症(狂牛病)を知る
 「狂牛病」=牛海綿状脳症とはどんな病気
 牛はけっして「狂っている」のではない 
 感染源の肉骨粉とはなにか 
 BSEを引き起こす病原体は「異常プリオン蛋白」 
 BSE牛はどうして出現したのか 
 人のプリオン病(CJD)は接触感染はしない 
 牛から人への感染でBSEは種の壁を越えた 
 肉骨粉の全面禁止措置でBSEは消失するか 
 安全対策と科学的根拠--BSEは生前診断ができない 
 汚染された肉骨粉が世界に出回る 
 フランスでのBSE騒動に学ぶべきこと 
 日本でのBSE第一例--不可解な「疑似」判定 

第二章 感染防止と安全対策を知る
 正しい知識を身につけることが危機管理の第一歩 
 国際的な安全基準を確立することが重要 
 行政側はなぜリスク評価を直視しなかったのか 
 今後は、BSE牛が見つかってよかったと思うべき
 牛原料の加工食品は安全か 
 牛由来の医薬品、化粧品は安全か 
 豚、鶏、魚、羊などの安全性は 
 血液と医療器具--人から人への感染で注意すべきこと 
 変異型CJD患者の発生状況 

第三章 BSEをめぐるサイエンス 
 「微生物学のなぞの病原体」--プリオン
 「伝染性」ではなく「伝達性」の病気 
 食人の風習から広がったクールーとCJDの関係 
 スクレイピー、クールー、CJDの病原体はなにか
 ウイルスでも細菌でもないまったく新しい病原体 
 世紀末に牛と人の海綿状脳症が出現した 
 プリオン説にもなぞがある 
 生前診断の可能性をさぐる 
 潜伏期中の異常プリオン蛋白は検出できるか
 日本のプリオン病研究は世界のトップクラス 
 感染・発病のメカニズムと治療法の未来 
 BSEがわれわれに投げかける大きな問題

「まえがき」

二〇〇一年九月、日本ではじめて、牛海綿状脳症(BSE)、いわゆる狂牛病に感染した牛が見つかりました。以来、BSEおよびプリオン病に関する、さまざまな報道や情報が飛びかうようになりました。テレビ、新聞、週刊誌などのマスメディアは、ほとんど毎日のようにBSEを取り上げた番組や記事を流しています。
 これまで長年、BSEおよびプリオン病を研究対象としてきた私にとって、それらの中には明らかに事実とは異なるものや、あるいはたんに面白半分だったり、人々の不安や恐怖心をあおるだけとしか思えないものもあります。しかし、そのすべてを一つ一つ取り上げ、誤りや不十分さを指摘することはできません。
 日本でのBSE発生に関しては、危険性を間近に感じていたひとりとして、非常に残念な思いもあります。なぜ十分なリスク管理ができなかったのか、その原因を追求することも大切ですが、それ以上に重要なのは、現在と今後に向けた適切な対応、対策です。行政から市民まで立場は一様ではありませんが、まずは誰もが事態を正しく知り、少なくとも誤った知識や情報のために判断をゆがめないことが肝要です。
 そこで本書は、BSEとプリオン病に関する正しい知識を、できるだけ平易に伝えようと緊急にまとめたものです。科学的な知見に基づいて、普通の人にもわかりやすく、BSEの全体像が理解できるような内容を意図しました。そのため、記述はかなりみ砕いて書くよう心がけ、また、展開も対話形式で進めるものとしました。一部に専門的な用語や記述も出てきますが、これは誤解を防ぐために必要な範囲と考え、そのままにしています。 

  全体の構成は、第一章ではBSEに関する基本的な知識を、背景も含めて解説しました。第二章では感染防止と安全対策を中心に、日常生活での参考となる知識を織り込んでいます。第三章は、やや専門的になりますが、BSEをめぐるサイエンスを紹介し、科学的関心への期待もこめました。
 本文に入る前に、ここでBSEおよびプリオン病と私個人との関わりにふれておきたいと思います。
 牛海綿状脳症(BSE)やクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)は、現在、総称してプリオン病と呼ばれています。プリオン病という概念はウイルス学の領域から生まれたものです。もともと私は、ウイルスのダイナミックな世界に魅了されて、研究の道を歩んできました。
 さかのぼると一九七九年、厚生省の難病研究班の一つとして、東北大学・石田名香雄教授班長のもと、遅発性ウイルス感染調査班が結成されました。遅発性ウイルスとはスローウイルスの和訳です。スローウイルスが引き起こす疾病の一つに、麻疹ウイルスによる神経難病があります。私はこの研究を行っていたことから、同研究班に参加しました。そして、これが私とプリオン病との出会いになりました。この研究班の大きな柱となったのは、当時、九州大学医学部の立石潤教授によるCJDについての研究でした。立石教授は世界で初めて、マウスを用いたCJDの伝達実験に成功し、このときからCJDについての研究は日本が世界をリードする形になりました。
 CJDと並ぶ重要なプリオン病に、羊のスクレイピーがあります。この分野では、同じく班員の帯広畜産大学の品川森一教授が研究に着手していました。スクレイピーはもともと日本には存在しない病気でしたが、一九七八年にカナダから輸入された羊がこの病気を日本に持ちこみました。これがきっかけで、品川教授はスクレイピーの研究をスタートさせました。
 こうして日本では一九八〇年代はじめに、人と動物のプリオン病の研究体制ができあがりました。二代目班長となった立石教授の後をついで、私は一九八八年から五年間、三代目の班長をつとめました。
 この研究班での成果は、現在の日本のBSE対策に大きく貢献しています。その一例として、BSEの牛やCJDの患者の確定診断に不可欠な、脳についての免疫組織化学検査があります。これは、病原体とみなされる異常プリオン蛋白を検出する方法で、立石教授のグループの北本哲之博士(現在東北大学教授)がはじめて確立したものです。北本博士は現在、設立二十二年目となったこの研究班の班長をつとめています。
 一方、品川教授は厚生労働省のBSE研究班長として、と畜場でのプリオン検査体制の確立をはじめとして、現在の日本でのBSE緊急対策の中心的役割を果たしておられます。こうした体制、対策の基盤には、これまでの二十年にわたるスクレイピー研究の蓄積が大きく貢献しています。
 ところで、海外に目を転じると、一九八六年に英国で牛のBSE発生がはじめて確認されました。この時点から、BSEは私たち研究者の大きな関心事となりました。
 一九九〇年には英国でのBSE発生数が一万五〇〇〇頭を越える事態となり、人への感染の危険性を指摘する声が強くなってきました。BSEが社会に投げた第一の波は、新たな人獣共通感染症の可能性を予感させたことでした。
 さらに一九九六年、若い世代で見つかったCJDが新しいタイプの病気であり、BSE感染の可能性があるという英国政府の爆弾発言が、全世界を大きく揺さぶりました。BSEがもたらした第二波です。このとき、私は品川教授とともに厚生省から派遣されて、英国でのBSEの発生状況、対策の状況などをつぶさに視察してきました。 
 一方、私は一九八九年から、国際獣疫事務局(OIE)という家畜感染症対策の国際機関で学術顧問をつとめています。たまたま二000年暮れ、パリにあるOIE本部での会議に私が出席していた際、フランスでBSE発生が急増し、ほかのヨーロッパ諸国でもBSEの初発例が見出されるという時期に遭遇しました。BSEの第三波のまっただ中に身をおいたことになります。 
 この時点で、BSEの世界的広がりの危険性が強く認識されるようになり、EU(欧州連合)ではさまざまな対策が打ち出されていきました。国際レベルではその頃から、日本での発生の可能性も指摘されるようになっていました。そして、二〇〇一年九月に千葉県でBSEの牛が見つかり、可能性はいっきに現実となったのです。
 私にとっては予想外の出来事ではありませんでしたが、これまでBSEが対岸の火事でしかなかったマスコミや一般の人々の反応は、私の予想をはるかに越えた大変なものとなりました。
 BSE第一例の発生以来、食生活と密接にかかわる多くの疑問が、私のところにも寄せられています。なぞの多いプリオン病といった受けとめ方が、よりいっそう不安をもたらしているものと思われます。しかし、現実には、BSEなどのプリオン病についての研究は、国際的にめざましく進展しており、それが安全対策にも生かされてきています。
 また、本書をまとめる過程で新たな発見や感慨がありました。BSEの問題は、グローバリゼーションというきわめて現代的なテーマと深く結びついているということです。
 私は長年ウイルスを研究対象としていますが、微生物の世界では、特に二十紀後半から時代が下がるにつれて、グローバリゼーションの影響で、先進社会と未開拓のいわゆる奥地といわれる地域との距離差がほとんどなくってきたことを実感しています。たとえばエボラ出血熱、エイズなど、新たな人獣共通感染症がすでに数多く出現しています。本書のテーマであるBSEも英国から世界へというその一例であり、今後もさらに同じようなことが起きる可能性は十分に考えられます。
 BSEの背景にあるグローバリゼーションの問題はウイルス学の領域だけでなく、地理学、歴史学、文化人類学、社会学なども含めた、幅広い横断的な論議が必要でしょう。BSEが投げかけたグローバリゼーションの問題について、これから学際的な追求や検証が重ねられることを期待しています。
 本書はこうした流動的な状況の中で、BSEとプリオン病について、正しい科学知識を提供することを目的としています。この小著がひとりでも多くの読者に活用され、BSEやプリオン病に対する正しい理解と関心が広がることを、著者として、また研究者として願ってやみません。

「あとがき」

九月十日のBSE牛のニュース以来、私にとってめまぐるしい日々があっという間に過ぎてしまいました。一九九六年、いわゆる狂牛病パニックの直後に、ウィーンで開かれた神経病理学の専門家の集まりに急遽出席した際に、座長のブドゥカ・ウィーン大学教授が、「この二カ月間は、われわれ神経病理学者がかって経験したことのない多忙の日々だった」といわれたことが、実体験できたように思います。
 いろいろな紆余曲折はあったものの、十月十八日からは、世界的にもっとも厳しい安全対策が実施されました。後手後手と批判される行政ですが、一カ月あまりで、これだけのことをなしとげたのは世界にも例のないもので十分に評価できると思います。
 日本でのBSE発生以来、私は「消費者はなにを注意しなければならないか」という質問を多く投げかけられました。それに対して、私は「と畜場から食卓に回るものの安全性は行政が確保すべきもので、個人個人が注意できるものではない」と述べてきました。その体制ができてきたことに一安心しているところです。
 しかし、日本がOIEの基準で述べられているBSE暫定的清浄国に戻れるのは、早くても七年後です。清浄国になるにはもっと年月がかかります。
 一方、汚染肉骨粉は東南アジアなど、世界各国に輸出されています。これからは、こういった国でのBSEの問題も出てくることが予想されます。世界的BSE拡散にも対処していかなければなりません。
 本書は、短い期間にまとめたために不完全なものですが、これまでのBSEの背景だけでなく今後も続くはずのBSEの問題の理解に、いささかなりともお役に立てばと願っています。
 最後になりましたが、本書は、これまでも私の一般向け著書を支えてきてくださっているライターの高木裕さん、K&K事務所の刈部謙一さん、河出書房新社編集部の小池三子男さんのトリオの協力で生まれたものです。改めて、三人の方に心より御礼申し上げます。